内閣総理大臣賞を受賞するまで
ある愛犬家の愛の記録
−エッフェルゼント・バンビ犬舎を訪ねて−
2月6日、横浜市久里浜の愛犬家エッフェルゼント・バンビ犬舎の高橋輝一さんをスズラン通りの自宅におたずねした。
高橋さんは、マルチーズを十頭飼っており、これらを我が子同様にかわいがり、家の構造も、犬本位に造るという一風変わった愛犬家である。
以下は、その飼育法、躾の仕方、犬舎の構造などの見聞記である。
エッフェルゼント・バンビ犬舎の誕生
高橋さん夫妻は、8年前この久里浜のスズラン通りで洋品店”バンビ”を開いた。
これは、高橋さんが釣り好きであり、転地療養を兼ねての移住であった。
しかし夫婦二人っきりのため、犬を飼ってみようということになり、ある犬屋さんからマルチーズの雑種を買い求めた。
この仔犬はエリーという名で、高橋さん夫妻は、自分の子供みたいに慈しみ育てた。
ところが、この犬はある日、とうとう病気にかかってしまい、夜を日についでの看護にもかかわらず、とうとう死んでしまった。
高橋さん夫妻は、嘆き悲しんだ。しかし高橋さんは「この仔犬を死なせたのは、自分たちが、何の予備知識なしで盲愛したからである。」ということに気がついた。
そんなあるとき、血統書つきのマルチーズの仔犬(牝)がいるがとの知人の話に、それを見にゆき、これならということでその仔犬を譲ってもらった。
それからがたいへんであった。高橋さんは犬に関するいろいろの本を読み、重要な部分はすべてノートするという方法で勉強を始めた。
しかし、高橋さんの犬に対する愛情は、単に本から知識を得るというだけにはとどまらなかった。
あそこに愛犬家がいると聞けば、労を厭にわずにその愛犬家を訪ね、体験談やら犬舎の構造を熱心に見聞した。至る所を訪ね歩いたのである。
この熱心さと犬に対する愛情、加えて奥さんの犬好きは、このマルチーズの仔犬を何らの病気にかけることなく、スクスクと成長させ、やがてこのマルチーズにシーズンがきた。高橋さんは例の熱心さで結婚相手をさがし歩き、ある愛犬家の外産マルチーズと交配させた。時がたって、高橋さんの愛犬は一頭の仔犬の母親となった。
この仔犬を早速JKCに登録するために犬舎号を、高橋さん経営の洋品店”バンビ”と高橋さんの名前の輝一の「輝」の仏語、”エッフェルゼント”から、エッフェルゼント・バンビとして登録した。
ここに、エッフェルゼント・バンビ犬舎の輝かしい第一歩を踏み出したのである。これが五年前のことであった。
お犬様の室
京浜急行久里浜駅で下車し、寒風の吹きすさぶ中を五分ぐらい歩くと、スズラン通りのはずれにバンビ洋装店はあった。
小奇麗な店である。高橋さんと奥さんが笑顔で迎えてくれる。今までの寒さはすっかりけし飛んでしまった。愛犬家特有の温かさである。愛犬家に悪い人はいないというが、ここでもはっきりそれがわかった。
さっそく高橋さん自慢の犬舎を見せてもらった。犬舎は一階にも二階にもあった。
下の犬舎は、押入れを改造したとかで四段に分けてあり、一室を紹介すると、五つの面をすべてデコラ張りにして、下に犬用のフトンを敷きつめてあり、犬舎のある室は、春を思わすような暖房がなされていた。
床や壁をデコラ張りにすれば、長毛を誇るマルチーズの毛が切れないし、何時でも犬舎が清潔にでき毛も美しく保てるからだとのことである。それとコンクリート張りの傾斜のついた土間には、新しい新聞紙が敷いてあった。ここが下の住犬(?)たちの用便所である。
二階に案内されるとマルチーズ一家の歓待を受けた。最初は吠えるので、咬まれるのではないかと思ったが、暫くしてその様子から歓待されているのが判った。
二階にあがり、再度驚かされた。
話には聞いていたが、犬の室として三畳の水洗便所(?)なるものが造られているのである。スズラン通りと反対側のこの山の見える室には、綿ブトンが敷かれ、窓は二つに区切られている。上下に窓が作られているのである。この室は良く陽が当たり、最初は三面を全部窓にしたそうである。が、夏ともなるとものすごく暑く、日中の太陽が、カーテンやブラインドで防げぬことがわかり、そこには人間様の押入れを造り、南側の窓は閉鎖した。
二面の窓であるが、上は大きなガラス戸、下は小さなガラス戸で、夏になると大きなガラス戸には、ブラインドをして、下を全部開け通風を良くし、冬にはガラス戸を閉め、もっぱら、日向ぼっこをさせるとのこと。私は、自分のアパートの室を思い出し、やるせない気がした。
躾は怒らずに・・・・・・
前記の水洗式便所について、”犬でさえもねぇ!”と高橋さんを感心させ、水洗便所をつくらせた話がある。
四年位前のことである。生まれて間もない仔犬が、何やらソワソワと落ち着かない。”どうしたのかな”と高橋さんが見ていると、新聞紙を敷いた土間の所に行きクンクンと鳴くのである。土間は約十センチ位の下にある。すると母親はサッサと土間に下り、自分は伏せの姿勢をとり、仔犬をくわえたかと思うと自分の肩を滑り台の代用として、仔犬を土間に下した。仔犬は小便がしたかったのである。仔犬が用を済ませるまで母親が待てば良いのであるが、そこはやはり犬である。自分だけ先に上り、上れずにいる仔犬を待っていたそうである。
これは、”便所はもう少し簡単に登れるように作れ!こんな便所を作っておいて、子供が粗相をすると「メッ!」という。それじゃ駄目よ。”という母犬のデモンストレーションだったのかも知れない。すぐ高橋さんは、二階の室に、ステンレス張りで、水道を下から引いた”水飲み場兼簡易便所”を作ってやった。ほど良い高さで・・・・・・。
高橋さんに用便の躾のことをうかがうと「犬が粗相しても、私は絶対に強くは叱らない。またやりそうな時に、所定の場所に連れて行き、済んだら、頭をなぜて褒めてやります。そうすると次からはそこでやるようになる」とのことである。私は、生後二ヶ月位の仔犬がちょこちょこと用便所にかけ上がり、すました顔でおもむろに片足をあげ、済ませると、誇らしげな顔で高橋さんの愛撫を待つ。という光景を目のあたりに見て、ナルホドネと思った。
ここの犬も、少々吠えないこともないが高橋さんが”イケナイ”というと吠えなくなる。全く感心なものである。
それと、もう一つは、ここの犬が仔犬、成犬にかかわらず、自分に与えられた食事だけ食べたら、全然、他の犬のものを欲しがらないということである。
これらは、高橋さんが、十頭の犬全部に同様に愛情をこめて接すからだと思うが、これは人間様も見習うべきだと思わされた。
犬の餌は、バーガー(牛肉)、レーション(馬肉)、レバー、市販の犬の餌などを与えるとのことであるが、赤ちゃん(人間の)の離乳期用のカンズメを見るに及んでは、”人間に生まれて損をした”と思わずにはいられなかった。
管理の方法
次に高橋さんの管理の方法であるが、これは四冊のマルチーズ一家のアルバムと体重表、体温表(毎日)とによってなされている。アルバムは、生後から成犬となるまでがいろいろなポーズで記録され、その下には機智に富んだ文句が書かれてあり、何回見ても飽きない。これらは、成長の記録で、生後これ位の月日で、この犬はこれ位の成長をみたというもので、これから生まれた仔犬と比較する最良の方法であるという。
毎日の体重測定、体温検査に至っては、良くこれまでと思う位の気の配り方である。これにより、犬の健康状態、その他は、およその見当がつくというから大したものである。
これを開いて見ると、一枚の方眼紙の上下に、体重、体温が書き込まれ、その要所には出産、展覧会出陳、交配などと微に入り、細にわたり記入されていた。
これが色とりどりの線で構成されているのには、全く驚嘆させられた。この仕事からも高橋さんと奥さんが、日本でも珍しい愛犬家(なんといって良いか見当がつかないので、こう書かせてもらった)であるということが判ると思う。
なお、シーズンともなると大変である。
高橋さんと奥さんは、一軒の家で別居生活を送る。
これも珍奇なことであるが、実は、高橋さんは他の犬たちを、奥さんはその牝犬を、とそれぞれ一階と二階に分かれて床につくという次第なのである。人間に関する法律を守ろうというのだから、大変だろうと思った。
展覧会の思い出
高橋さんが、前記のエッフェルゼント・バンビ犬舎の母胎ともなったリズ(J・Chリンデンの愛称)を展覧会に出陳したのは昭和三十八年の春であった。それまでは、展覧会出陳など思いもしなかったそうであるが、ある犬友さんが「高橋さん、あなたの犬は毛並といい、毛づやといい申し分ないし、この犬ならショーに出しても恥ずかしくない。一回出陳したらどうです。」と再三再四すすめるので、「そうだな、一度出してみるか」と春の神奈川県下チャンピオン展に出陳したのである。
当日は、雨であったが、その中で展覧会は開催された。それでも出陳者は皆、ふるえながらであるが得々として審査を受けてもらっていた。この日リズは、チャンピオン資格犬証の賞状とカップをもらった。
その日は、高橋さんもリズも喜び勇んで家路をたどった。その頃はまだ展覧会のおもしろみは判らなかったのである。
三十八年九月、リズはアメリカ・チャンピオン※ペリノ・オブ・ビラマルタとの間に一仔をもうけた。
ガレンヌの母親アドが誕生したのである。
三十九年の春、さっそくアドを神奈川県下の支部展に出陳することにした。この時は、店番を女の子に頼み、奥さんと一緒に出かけた。しかし、この日も雨に見舞われた。
この前もそうであったが、この日はもっとひどかった。雨に雪が混っていたのである。その中でアドと高橋さん夫妻は、審査をうけた。ショーに不馴れな高橋さんは、アドを生まれたままの姿(手入れを余りしない)で出陳した。他の犬はと見ると、まるでお見合いする犬?のようにサッパリした姿をしていた。しかもご主人のレインコートを着てすましていたのである。愛犬にレインコートを着せたご主人はと見ると震えながらも幸福そのものという顔で愛犬を抱いているのである。「ナルホド!これが本当の愛犬家だなぁ」と高橋さん夫妻は、つくづくと思い知らされた。
この日も小さいカップと賞状を手にして帰った。しかし、愛犬に対する申し分けなさで頭が一杯の高橋さんは、左程のうれしさも感じなかった。それからというものは、仕事の合間を見付けては、遠路を厭わず、積る疲れも忘れ、他のマルチーズ愛好家を訪ねては、餌のあり方、手入れの仕方を教えてもらおうとした。しかし、これは得ることが少なかった。聞き出すまでに、大変手間取ったからである。
その年の秋、アドは、アメリカ・チャンピオン※オークマナー・ホワイト・イーグルとの間に二仔をもうけた。この時生まれたのが、現在のグランド・チャンピオン※ガレンヌとジャパンチャンピオン※グランダムの二頭だったのである。
高橋さんは、繰り返し本を読み出した。三十九年秋の本部展には、愛犬を出陳せずマルチーズの写真を撮りまくった。写真を撮るだけでなく、手入れ方法、餌の話をも熱心に聞いて回ったのである。ここでの出陳者達は、高橋さんの余りの熱心さに敬服したのであろう。親切に教えてくれた。
昭和四十年、JKC本部では、新チャンピオン制度を敷いた。この頃の高橋さんは、ショーの際の手入れ、通常の手入れ、餌の問題も完全にマスターして、それに長年続けてきたグラフ(体重・体温の)による健康管理にも拍車をかけていた。
この頃すでにガレンヌとグランダム、高橋さんは展覧会待ちの状態であったのである。
新制度下の春の支部展を皮切りに各地支部展に出場するたびに、ガレンヌは、見事な成績で入賞、通産大臣賞、文部大臣賞、外務大臣賞と止まることを知らぬ猛進であった。一方グランダムも通産大臣賞などを獲得した。二頭出陳し、二頭はそれぞれ、牡の部、牝の部で一番をとったこともあった。幼い息子さんや娘さんが百メートル徒歩で、一等でゴールインしたときの親の心境にも似たものがあったことと思う。
春の本部展で大トロフィーをも獲得したガレンヌは、その秋の神奈川県下の支部チャンピオン展においては、四百数十頭の出陳犬を尻目に、堂々と内閣総理大臣賞を獲得した。
夕日に映えて、堂々と進むガレンヌと高橋さん。これまでに苦労も多かっただけにその喜びも隠し切れず、喜々として、しかも高ぶらずに進む高橋さんとガレンヌの後には、続々と他のチャンピオン資格犬が長い列をなしていた。念願の内閣総理大臣賞はこうしてガレンヌの獲得するところとなったのである。秋の本部展でも、このガレンヌは、大王冠賞を授与された。
展覧会は、回を重ねるごとにそのおもしろ味がわかってくる。愛犬家が愛犬家を知るのも展覧会であるし、真の愛犬家が愛犬と一体となって一日を過せるのも展覧会なればこそと思うし、苦労が報いられるのも又、展覧会なのだと思う。
高橋さんが経験したように、他の犬を見るのも、愛犬をより一層すばらしい犬とするチャンスなのだ。”井の中の蛙”となるのは簡単だが、そんな人は、愛犬にとってもの足りぬご主人様となるだろう。
早朝のすがすがしい空気をすって口笛を鳴らさんばかりで、ショー前の手入れをする高橋さん夫妻の姿は、皆さんにも想像がつくものと思う。
このような話は、幾らでもお聞きしたいのであるが、私は後ろ髪を引かれる思いで、この温厚な犬舎主にお礼とお別れの言葉を述べ、また、寒風の中を駅へと向かった。 (中脇秀一郎記)
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